東北10日間の旅/

8月30日

東北周遊の旅に出る。最初の宿泊地は、御殿場にある「時之栖」だ。御殿場と言えばアウトレットが有名だが、ここに寄るのは「こぼれ寿司」の鮨が食べたいからだ。で、昼食は地魚鮨定食を食する。さらに、夕食は「時之栖」で「御殿場高原ビール飲み放題コース」で地ビールをガブ飲みする。
今日も富士山は雲の上にあった。

8月30日 御殿場(静岡県)から会津(福島県)へ

会津といえば鶴ヶ城と白虎隊だ。まず、鶴ヶ城を見学する。幕末の戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ戦いが鶴ヶ城で行われた。鶴ヶ城は砲弾でさらされ傷つき荒れ果てた。飯盛山に落ち延びた白虎隊がそれを見て、これまでと自決したと言われている。

天守閣の側に、千利久の子・千少庵が立てたと言われている茶室「麟閣」がある。天正14年、千利久は死を命じられた。この時、千利久の茶道が途絶えることを惜しんだ会津の領主、蒲生氏郷は千利久の子の千少庵を会津に匿い、豊臣秀吉に「千家再興」を願い出た。この結果、千少庵は京都に帰李kとが出きた。その後、千少庵の子・孫により茶道三千家が興され現在に至っている。

蒲生氏郷偉い!

会津が産んだ天才医師・野口英世が青春時代過ごしたのがこの野口英世青春通りだ。電柱に野口英世の顔看板が掲げられている。

会津若松に宿泊した目的は、海鮮物問屋ゆかりの料理を食べさせてくれるレストラン「渋川問屋」で会食するためだ。昔は食べたが今は食べる機会が少なくなったニシン料理だ。

定番の「祭り御前(鶴)」を頂く。食前酒・棒タラ煮・ニシンの山椒漬・こづゆ・ニシンの天ぷら・ニシンの昆布巻・蕎麦粒がゆ・季節の混ぜご飯・水菓子などの塩乾物を生かした料理。

「会津人のもてなしの心」が会津椀につまるこづゆ。

ホタテの貝柱でだしを取り、豆麩(まめふ)、にんじん、しいたけ、里芋、キクラゲ、糸こんにゃくなどを加え、薄味に味を調えたお吸い物を、会津塗りの椀で食す料理。多くの食材が盛られる贅沢な料理ながら「おかわりを何杯しても良い」習慣が有り、会津人のもてなしの心が表現されている。会津藩のご馳走料理としてうまれたこづゆは、現在も正月や冠婚葬祭などの特別な日には欠かせないもてなしの料理。具だくさんの材料の数は縁起のよい奇数が習わし。

8月31日 会津若松より東鳴子温泉

白虎隊自刃の地・飯盛山。忠魂の駅とは驚いた。飯盛山観光案内所の前には白虎隊の歴史が優しく解説された看板が掲げられている。

野口英世記念館

新型コロナウイルス 感染症が世界的に大流行している今こそ野口英世に注目するのだと、緊急特別展が開催されていた!野口英世偉い!さすが千円札。

阿多多羅SA内に「ほんとの空の里」の看板がある。

智恵子は東京に空が無いという

ほんとの空が見たいという

私は驚いて空を見る

桜若葉の間に在るのは

切っても切れない

むかしなじみのきれいな空だ

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ

智恵子は遠くを見ながら言う

阿多多羅山の山の上に

毎日出ている青い空が

智恵子のほんとの空だという

あどけない空の話である。

この日、空は曇っていてここにもほんとうの空はなかった。

今日の昼食は、あえて仙台ICで降りて仙台駅前の「たんや 善次郎」
塩焼き牛たんにこだわり抜き、粉挽き塩を手振し、細かい仕込みに手間をかけ、 どこにも負けない美味しさを追及した牛タンの専門店だ。

手間を惜しまず、真っ正直に伝統の味を守る 全ての仕込みを職人の手で 機械などで代用できる作業でも全て「人の手」で行うことにこだわっている。

今日の宿泊は、湯治で有名な鳴子温泉郷の「旅館大沼」

湯治とは、温泉宿に長期滞在をして病気治療や療養を行うこと。古くから親しまれてきた湯治文化を気軽に体験できる”プチ湯治”も最近では注目されている。そんな湯治ができる宿がこの「旅館大沼」なのだ。ここで2泊する。

9月1日 平泉観光

 かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経壇は三将は像を残し、光像は三代の棺を納め、三尊の仏を安置する。七宝散り失せて、珠の扉風に破れ、黄金の柱霜雪に朽ちて、すでに頽廃空虚の叢となるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぎ、しばらく千載の記念とはなれり。

五月雨の降り残してや光堂

尿前の関(しとまえのせき)

 南部道遥に見やりて、岩手の里に泊まる。小黒崎・みづの小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて、ようようと関を越す。大山を登って日すでに暮れれければ、邦人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留す。

蚤虱馬の尿(しと)する枕もと

鳴子温泉郷のパンフレットより「義経伝説と鳴子」

芭蕉通過の500年前、この地を源義経が平泉に逃れる途中に通ったという伝説もあります。そもそも鳴子という地名は旅の途中に産まれた義経の子が産声を上げた「啼子(なきこ)」が転じたものといわれす。

ホンマかいな?伝説はいつも怪しい!